JaLCDOI 10.18926/bgeou/9386
フルテキストURL 088_0041_0047.pdf
著者 平井 安久|
抄録 Baroody(1985)は子どものinformalな手続きとsophisticated conceptとの不一致の例として、3+5において5から3だけ数え足しにする子どもが3+5と5+3が同じ答えになることまで考えていないという例をあげている。さらにBaroody(1987)では、加数と被加数の交換をするとき、sameではないにしてもcorrectな答えになると考える子どもがいることを述べられている。本研究では、小学校1年生の整数の加法計算の問題において、1年生1学期の段階で被加数と加数の順序を入れ換える活動をする子どもの例をいくつかあげて、子どもによってどのような背景が見られるかについて考察することを目的とする。なおデータとして用いるのは、小学校1年生に対するたし算ストラテジーの調査(註を参照)で得られた結果の一部である。
キーワード 小学校1年生 たし算 被加数
出版物タイトル 岡山大学教育学部研究集録
発行日 1991
88巻
1号
開始ページ 41
終了ページ 47
ISSN 0471-4008
言語 日本語
論文のバージョン publisher
NAID 120002311132
著者 西井 賢悟| 小松 泰信| 横溝 功|
発行日 2006-02
出版物タイトル 岡山大学農学部学術報告
95巻
1号
資料タイプ 紀要論文
著者 福田 文夫| 近阪 昌之| 久保田 尚浩|
発行日 2006-02
出版物タイトル 岡山大学農学部学術報告
95巻
1号
資料タイプ 紀要論文
JaLCDOI 10.18926/bgeou/9379
フルテキストURL 073_0219_0237.pdf
著者 稲田 利徳|
抄録 頓阿の家集「草庵和歌集」(正・続)が南北朝・室町時代および江戸時代を通じて、二条派和歌の聖典として広く享受されてきたことは、諸々の方面から確認できる。南北朝・室町時代の歌人たちは「草庵集」を写本で繙読しただろうが、江戸時代になると、版本が上梓されたので、それによって享受されることの方が多かったと推測される。江戸時代には、まず承応二年(一六六四)に、各々版本が刊行されている。『國書総目録』によると、承応二年板は、内閣文庫本以下五部、寛文四年板は慶応大学本以下二十部を各々掲出しているが、特別に多く現存するというほどではない。この二度にわたる版本の上梓は、江戸前期の歌人たちの渇をいやしたであろうが、元禄以降になると、「草庵集」を解体し、歌題別に分類、組織変えした「草庵和歌集類題」(以下「草庵類題」と略称)なる版本が一般に広く流布したようである。この事実は、すでに武者小路実影・似雲・澄月などの「草庵集」の享受の様相を辿ったところでも一言触れたことがあるが、彼らは皆、このコンパクトで便益な「草庵類題」を手許に所持し、詠歌の際に規範として活用していた。また、この本は、『國書総目録』に、元禄八年板、寛延四年板、安永四年板、嘉永二年板の諸版本が掲出されているように、頻繁に重刷された。この「草庵類題」は、「草庵集」(正・続)を解体し、歌題別に編纂したものだが、元禄頃から江戸時代を通し、人々に最も親しまれた頓阿の家集だけに、編纂に際して依拠した「草庵集」の伝本、本文の信頼度、編纂方針など、いわゆる成立問題の解明が改めて必要となる。
出版物タイトル 岡山大学教育学部研究集録
発行日 1986
73巻
1号
開始ページ 19
終了ページ 37
ISSN 0471-4008
言語 日本語
論文のバージョン publisher
NAID 120002311151
JaLCDOI 10.18926/bgeou/9373
フルテキストURL 073_0063_0075.pdf
著者 森 熊男|
出版物タイトル 岡山大学教育学部研究集録
発行日 1986
73巻
1号
開始ページ 63
終了ページ 75
ISSN 0471-4008
言語 日本語
論文のバージョン publisher
NAID 120002311077
JaLCDOI 10.18926/bgeou/9372
フルテキストURL 073_0047_0062.pdf
著者 山中 芳和|
抄録 本稿は、まず[Ⅰ]において主として鈴木雅之と岩倉具視を手がかりにして、王政復古前における天皇統治の原理がどのように把握されていたかを明らかにする。次に[Ⅱ]において王政復古直後に形づくられようとした天皇像の基本的性格を矢野玄道と大久保利通の見解によって考察する。[Ⅲ]においては、[Ⅰ][Ⅱ]をうけて、明治維新政府の最初の教育制度構想である学舎制の特質を、矢野玄道の国学思想と学校構想とに焦点をあてて考察し、明治初頭の復古性を教育理念の側面から明らかにしたい。これらの作業は、教育勅語によって確定される民衆の臣民化政策の性格を、その道程の発端の時点において明らかにすることになるとおもうのである。
キーワード 国学 教化論 鈴木雅之 岩倉具視
出版物タイトル 岡山大学教育学部研究集録
発行日 1986
73巻
1号
開始ページ 47
終了ページ 62
ISSN 0471-4008
言語 日本語
論文のバージョン publisher
NAID 120002311166
著者 大江 和泉| 齊藤 邦行| 黒田 俊郎|
発行日 2006-02
出版物タイトル 岡山大学農学部学術報告
95巻
1号
資料タイプ 紀要論文
JaLCDOI 10.18926/bgeou/9364
フルテキストURL 072_0221_0232.pdf
著者 森 熊男|
出版物タイトル 岡山大学教育学部研究集録
発行日 1986
72巻
1号
開始ページ (21
終了ページ 32)
ISSN 0471-4008
言語 日本語
論文のバージョン publisher
NAID 120002311096
JaLCDOI 10.18926/bgeou/9363
フルテキストURL 072_0201_0219.pdf
著者 稲田 利徳|
抄録 頓阿の家集「草庵和歌集」(正・続)は、成立当初から、二条派の歌人を中心にして、広く享受され、その影響力は、江戸時代にまで及んでいる。「草庵集」の享受の様相を辿り、その特質を把握することは、この家集の諸本の問題や和歌の特色に触れることができると同時に、その時代の和歌の実態の一面に照明を当てることにもなろう。この意味で、中世・近世における「草庵集」の享受を跡付けることは、少なからざる意義を有する。同様な趣旨のもとで、すでに、似雲の「詞林拾葉」(磯の浪)を取り扱ったが、本稿はそれに続き、澄月の「和歌爲隣抄」に焦点を絞り、享受の一端を明らかにしてゆきたい。澄月の伝記は、最近、兼清正徳氏の豊富な資料を駆使した大著『澄月傳の研究』(昭和58年刊)が出版され、その生涯が随分明確になってきた。まず最初に、この『澄月傳の研究』などを参照しながら、ごく簡単に彼の伝記を記述しておく。澄月は、正徳四年(一七一四)に、備中国浅口郡玉島に誕生(垂雲和歌集・亮々草紙)。俗姓は西山氏。垂雲軒・酔雲軒・酔夢庵などと号した。八歳の頃に出家、天台宗の清滝寺の慈相法印の徒弟となる。やがて比叡山に登り、天台教学を学んだと伝えられる。(近世三十六家集 伝)。ついで洛北塔の壇で信覚上人について念仏修行を積み、(近世往生伝)、長く行脚生活を続けた。その後、洛東岡崎に隠棲、武者小路実岳の門に入り、二条家歌学の奥旨を受けた後、(亮々草紙)、歌道で身をたて、小沢蘆庵・慈延・伴蒿蹊とともに、平安の和歌四天王と称された。寛政十年(一七九八)五月二日、垂雲軒で病死、享年八十五。主なる著作には、孫弟子の宮下正岑の撰録した「垂雲和歌集」(天保二年刊)、柿本・玉津嶋・住吉の三社への奉納歌「澄月法師千首和歌」(文政十一年刊)、それに歌論書「和歌爲隣抄」(寛政九年刊)などがある。
出版物タイトル 岡山大学教育学部研究集録
発行日 1986
72巻
1号
開始ページ 1
終了ページ 19
ISSN 0471-4008
言語 日本語
論文のバージョン publisher
NAID 120002311136
著者 北野 待子| 齊藤 邦行| 黒田 俊郎|
発行日 2006-02
出版物タイトル 岡山大学農学部学術報告
95巻
1号
資料タイプ 紀要論文
著者 曽根 千晴| 津田 誠| 平井 儀彦|
発行日 2006-02
出版物タイトル 岡山大学農学部学術報告
95巻
1号
資料タイプ 紀要論文
JaLCDOI 10.18926/bgeou/9343
フルテキストURL 071_0339_0354.pdf
著者 稲田 利徳|
抄録 兼好が生前、「徒然草」の著者としてではなく、二条為世門の歌人として知られていたことは、洞院公賢の日記「園太暦」(貞和二年閏九月六日の条)の「兼好法師来、和歌数寄者也、召簾前謁之」の記事などによっても推察できる。
出版物タイトル 岡山大学教育学部研究集録
発行日 1986
71巻
1号
開始ページ 39
終了ページ 54
ISSN 0471-4008
言語 日本語
論文のバージョン publisher
NAID 120002311084
著者 エルアンサリー ディア オサマ| 岡本 五郎|
発行日 2006-02
出版物タイトル 岡山大学農学部学術報告
95巻
1号
資料タイプ 紀要論文
JaLCDOI 10.18926/bgeou/9320
フルテキストURL 070_0209_0225.pdf
著者 稲田 利徳|
抄録 この拙稿は、本誌の第六十五号と第六十八号に公表した「『草庵和歌』伝本考(上)(中)の続稿である。(上)では、伝本研究の現状、伝本研究の目的と方法、伝本の書誌的概要を述べ、さらに伝本の系統分類を行うとともに、諸本間の和歌の有無の観点から、各伝本の性格に言及した。続いて、(中)では、詞書の異同、配列の異同を整理し、その異動の生じた原因などに触れ、各伝本の特質の一端を記述した。この論考では、以上の(上)(中)の結果を受継し、主として諸本間の歌本文の異同を吟味し、各系統の伝本の位置に触れ、一応のまとめとしたい。
出版物タイトル 岡山大学教育学部研究集録
発行日 1985
70巻
1号
開始ページ 9
終了ページ 25
ISSN 0471-4008
言語 日本語
論文のバージョン publisher
NAID 120002311103
著者 後藤 丹十郎| 島 浩二| 東 千里| 森下 照久| 藤井 一徳| 元岡 茂治|
発行日 2006-02
出版物タイトル 岡山大学農学部学術報告
95巻
1号
資料タイプ 紀要論文
著者 畑 直樹| 村上 賢治| 吉田 裕一| 桝田 正治| 田中 淳| 鹿園 直哉| 長谷 純宏|
発行日 2006-02
出版物タイトル 岡山大学農学部学術報告
95巻
1号
資料タイプ 紀要論文
著者 村上 賢治| 小幡 正吾| 矢野 仁士| 三谷 香恵|
発行日 2006-02
出版物タイトル 岡山大学農学部学術報告
95巻
1号
資料タイプ 紀要論文
JaLCDOI 10.18926/bgeou/9300
フルテキストURL 069_0323_0331.pdf
著者 稲田 利徳|
抄録 慶運は、南北朝期に為世門の和歌四天王と称され、頓阿・浄弁・兼好などとともに、歌壇に活躍した、歌僧である。しかし、彼の生存中に撰集された勅撰集には「風雅集」にわずかに一首入集しただけで不遇であった。心敬の「ささめごと」には「中比、頓阿、慶運法師とて歌人あり。慶運は身の程や不肖なりけむ。毎々述懐をのみせしとなり。新千載集に四首入れられ侍るとて、撰者を九拝して涙をながし喜び侍りしに、頓阿が歌数十首入りぬると聞きて、後日にわが歌を切り出だし侍るとなり。」とか、「運慶法師今はの時、年来の詠草抄物、住みなれし東山藤もとの草庵のしりへに、みな埋み捨て侍ると也。道に恨みを残し侍るも情け深き事也」といった逸話を伝えている。それかあらぬか、中世の歌人としては現存する和歌はそれほど多くない。纏まったものとしては、「慶運法印集」、「慶運百首」がある程度。前者は元来、三百首からなっていた自撰家集であったようだが現存資料では数首欠脱している。後者は、ある時期に一気に百首歌を詠じたものではなく、本人か他の人が、百首を撰歌したもののようで、両詠草間には約四十首ほどの重出歌がある。この他、慶運の和歌は、「風雅集」「新後拾遺集」「新続古今集」の各勅撰集、「続現葉集」「臨永集」「藤葉集」「松花集」などの私撰集の類、「朗詠題詩歌」「玄恵法印追善詩歌」「二条為世十三回忌品経和歌」「花十首寄書」「草庵集」「高野山金剛三昧院奉納短冊」などに散見する。また、書陵部には「浄弁竝慶運集」(四〇六・二四)なる孤本が存し、そこに六十六首の慶運の和歌が収録されているが、この歌群には、既知の慶運の和歌と一致するものが一首もなく、表題のように慶運の家集かどうか確認されていない。この詠草の検討は最後に若干行う予定だが、これを加算しても、現存する慶運の和歌は、およそ、五百首ほどで、特に多いわけではない。ここで売立目録類や古筆手鑑類を調査して、彼の自筆懐紙や短冊の集成を試みるのも意義あることと思うので、現在知り得たものを紹介しておきたい。
出版物タイトル 岡山大学教育学部研究集録
発行日 1985
69巻
1号
開始ページ 23
終了ページ 31
ISSN 0471-4008
言語 日本語
論文のバージョン publisher
NAID 120002311086
著者 岩井 暁| 山本 健太郎| 金尾 忠芳| 杉尾 剛| 上村 一雄|
発行日 2006-02
出版物タイトル 岡山大学農学部学術報告
95巻
1号
資料タイプ 紀要論文
著者 馬場 直子| 坂口 博脩| 田口 隆章| 早瀬 伸樹| 田村 隆| 稲垣 賢二|
発行日 2006-02
出版物タイトル 岡山大学農学部学術報告
95巻
1号
資料タイプ 紀要論文