JaLCDOI 10.18926/bgeou/9320
フルテキストURL 070_0209_0225.pdf
著者 稲田 利徳|
抄録 この拙稿は、本誌の第六十五号と第六十八号に公表した「『草庵和歌』伝本考(上)(中)の続稿である。(上)では、伝本研究の現状、伝本研究の目的と方法、伝本の書誌的概要を述べ、さらに伝本の系統分類を行うとともに、諸本間の和歌の有無の観点から、各伝本の性格に言及した。続いて、(中)では、詞書の異同、配列の異同を整理し、その異動の生じた原因などに触れ、各伝本の特質の一端を記述した。この論考では、以上の(上)(中)の結果を受継し、主として諸本間の歌本文の異同を吟味し、各系統の伝本の位置に触れ、一応のまとめとしたい。
出版物タイトル 岡山大学教育学部研究集録
発行日 1985
70巻
1号
開始ページ 9
終了ページ 25
ISSN 0471-4008
言語 日本語
論文のバージョン publisher
NAID 120002311103
JaLCDOI 10.18926/bgeou/9300
フルテキストURL 069_0323_0331.pdf
著者 稲田 利徳|
抄録 慶運は、南北朝期に為世門の和歌四天王と称され、頓阿・浄弁・兼好などとともに、歌壇に活躍した、歌僧である。しかし、彼の生存中に撰集された勅撰集には「風雅集」にわずかに一首入集しただけで不遇であった。心敬の「ささめごと」には「中比、頓阿、慶運法師とて歌人あり。慶運は身の程や不肖なりけむ。毎々述懐をのみせしとなり。新千載集に四首入れられ侍るとて、撰者を九拝して涙をながし喜び侍りしに、頓阿が歌数十首入りぬると聞きて、後日にわが歌を切り出だし侍るとなり。」とか、「運慶法師今はの時、年来の詠草抄物、住みなれし東山藤もとの草庵のしりへに、みな埋み捨て侍ると也。道に恨みを残し侍るも情け深き事也」といった逸話を伝えている。それかあらぬか、中世の歌人としては現存する和歌はそれほど多くない。纏まったものとしては、「慶運法印集」、「慶運百首」がある程度。前者は元来、三百首からなっていた自撰家集であったようだが現存資料では数首欠脱している。後者は、ある時期に一気に百首歌を詠じたものではなく、本人か他の人が、百首を撰歌したもののようで、両詠草間には約四十首ほどの重出歌がある。この他、慶運の和歌は、「風雅集」「新後拾遺集」「新続古今集」の各勅撰集、「続現葉集」「臨永集」「藤葉集」「松花集」などの私撰集の類、「朗詠題詩歌」「玄恵法印追善詩歌」「二条為世十三回忌品経和歌」「花十首寄書」「草庵集」「高野山金剛三昧院奉納短冊」などに散見する。また、書陵部には「浄弁竝慶運集」(四〇六・二四)なる孤本が存し、そこに六十六首の慶運の和歌が収録されているが、この歌群には、既知の慶運の和歌と一致するものが一首もなく、表題のように慶運の家集かどうか確認されていない。この詠草の検討は最後に若干行う予定だが、これを加算しても、現存する慶運の和歌は、およそ、五百首ほどで、特に多いわけではない。ここで売立目録類や古筆手鑑類を調査して、彼の自筆懐紙や短冊の集成を試みるのも意義あることと思うので、現在知り得たものを紹介しておきたい。
出版物タイトル 岡山大学教育学部研究集録
発行日 1985
69巻
1号
開始ページ 23
終了ページ 31
ISSN 0471-4008
言語 日本語
論文のバージョン publisher
NAID 120002311086
JaLCDOI 10.18926/bgeou/9265
フルテキストURL 068_0229_0240.pdf
著者 森 熊男|
出版物タイトル 岡山大学教育学部研究集録
発行日 1985
68巻
1号
開始ページ (29
終了ページ 40)
ISSN 0471-4008
言語 日本語
論文のバージョン publisher
NAID 120002311068
JaLCDOI 10.18926/bgeou/9264
フルテキストURL 068_0211_0228.pdf
著者 稲田 利徳|
抄録 この拙稿は、本誌の第六十五号に掲載した「『草庵和歌集』伝本考(上)」の続稿である。(上)では、伝本研究の現状、伝本研究の目的と方法、ついで現在までに調査した、三十余りの伝本の書誌的概要をやや詳しく解題した。さらに、それを基底に、伝本分類を行ない、まず諸本間にみられる和歌の有無の観点から、各伝本の性格に触れた。この論考では、それを受継し、詞書と配列の方面から、諸本間の異同とその意味を吟味してゆく。
出版物タイトル 岡山大学教育学部研究集録
発行日 1985
68巻
1号
開始ページ 11
終了ページ 28
ISSN 0471-4008
言語 日本語
論文のバージョン publisher
NAID 120002311087
JaLCDOI 10.18926/bgeou/9254
フルテキストURL 068_0035_0045.pdf
著者 山中 芳和|
抄録 本稿の目的の一つは、維新変革期の国学者の一人、鈴木雅之の中に、天皇への求心的な姿勢の実相を探るとともに、それとのかかわりにおいて提示される雅之の学校構想がいかなる機能をもつものであったのかを考察することにある。後述するように、雅之においては天皇への求心的姿勢は「人心一和論」として展開する。それは朝廷=天皇が、民衆統合への確固たる収束点として政治的に明確化されてはじめて可能になることであった。ところで、後期国学全体に目を向けたとき、そこには雅之のごとく政治的統合の核として天皇を位置づける以前に、「神の御心」を媒介項として民衆の心の把握を図り、それを通して一定の秩序を確保するという側面があったことを忘れてはならない。「八雲立つ出雲の神に神習ひ習ふや道の学問なるらむ」「幽世の神の御前を畏みて愧る心を人なわすれぞ」と詠んだ、下総の農民、宮負定雄はそのような国学者の一人であった。神習ふとは人々が神の御心を行動の規制原理として心の内に持つことを意味した。そこで期待されている行動とは「身を慎み、身分に応じて、世の為人の為に、それぞれの功を立て」るということに包括されうるものである。しかも宮負は人々にこのような行動を通して、村落が和合し、上下が和合する状態が現出するものととらえたのである。ここに、宮負が村落問題に対して教育的に対処しようとした姿勢を見ることができよう。本稿はまずはじめに[Ⅰ]において宮負定雄について考察する。宮負の和合論を検討し、そのなかで神の御心がいかなる意義をもつものであったかを明らかにする。次に[Ⅱ]では、鈴木雅之について、尊王論、人身一和論、学校思想の三点から考察する。以上の考察を通して、幕末維新期の国学にみられる教化論の性格が、民衆統合論の視角から明らかになり、学校教育思想がもつ意義も明確になるものとおもう。
キーワード 鈴木雅之 宮負定雄 国学 教化論
出版物タイトル 岡山大学教育学部研究集録
発行日 1985
68巻
1号
開始ページ 35
終了ページ 45
ISSN 0471-4008
言語 日本語
論文のバージョン publisher
NAID 120002311162
JaLCDOI 10.18926/bgeou/9250
フルテキストURL 067_0209_0219.pdf
著者 稲田 利徳|
抄録 浄弁は南北朝期に為世門の和歌四天王として、頓阿・兼好・慶運などとともに歌壇に活躍した歌僧である。しかし、その生没年や出自などが不明であるばかりでなく、現存する和歌作品も稀少である。浄弁には、信頼できる家集が存在せず、その歌は「続千載集」「続後拾遺集」「新千載集」「新拾遺集」「新後拾遺集」「新続古今集」の勅撰集や、「続現葉集」「臨永集」「藤葉集」「松花集」の私撰集の類に、数首ずつ入集するほか、「花十首寄書」「朗詠題詩歌」に散在するだけである。その歌数は、重複するものを除き、約八十首ばかり。もっとも、書陵部には、「浄弁竝慶運集」(四〇六・二四)なる孤本の写本一冊が存し、『私家集大成 中世Ⅲ』に翻刻されている。この写本の前半の四十一首が浄弁の歌とされているが、『私家集大成』の解題でも「本集の歌は既知の浄弁の歌と一致するものがなく、本集の表題や巻頭の署名以外に浄弁の集と断定し得る明徴がない。さりとて浄弁作なることを否定する積極的な根拠もないし、後述するようにかつては家集もあったというから、一応浄弁のものと認めておき、詳細な検討は将来を期したい。」(荒木尚氏執筆)とあるように、浄弁の家集であることが実証されていない。「かつて家集もあったという」とは実隆公記(文明十五年七月廿二日の条)で、打聞資料の一つとして提出された、法印浄弁詠草 依仙洞仰、所書進之詠之由、見奥書、殊勝之物也 を指しているが、書陵部本との関連は不明。この書陵部本「浄弁集」に関しては、この稿の末尾で若干言及するが、たとえ浄弁の詠草としても、たかだか四十一首で、先の八十余首と合せても、百二十余首で、稀少な和歌しか現存しないことに変わりはない。この点からみても、浄弁の自筆懐紙・短冊の集成が必要となってくるが、ここでは売立目録や古筆手鑑類の調査で知り得たものを紹介する。
出版物タイトル 岡山大学教育学部研究集録
発行日 1984
67巻
1号
開始ページ 9
終了ページ 19
ISSN 0471-4008
言語 日本語
論文のバージョン publisher
NAID 120002311088
JaLCDOI 10.18926/bgeou/9243
フルテキストURL 067_0091_0104.pdf
著者 平井 安久|
抄録 n個体のv変量について観測されたデータを、個体と個体の間の関係をもとにして、多変量データを低い次元で要約する統計的手法の中に主座標分析がある。これはGowerによって始められたもので、いくつかの例が報告されている。特にデータの値が1と0のみの場合にも適用できるため、S-P表(佐藤)に用いられるような教育数値データへの応用を考えてみたい。S-P表の考えは、n個体のv項目のテスト問題に対する得点を1、0のデータで表し、授業分析や生徒と問題の関連の分析に役立てようというものである。ただ、その処理結果がデータの相互依存性から得られるものである点では主座標分析の考えと共通の性質をもつものである。したがって個体間の関係に注目すれば、各個体のデータを低次元でブロックする処理を行い、その互いの位置関係を知ることで個体どうしの関連を把握できると考えられる。
キーワード S-P表 主座標分析
出版物タイトル 岡山大学教育学部研究集録
発行日 1984
67巻
1号
開始ページ 91
終了ページ 104
ISSN 0471-4008
言語 日本語
論文のバージョン publisher
NAID 120002311057
JaLCDOI 10.18926/bgeou/9232
フルテキストURL 066_0301_0319.pdf
著者 稲田 利徳|
抄録 生あるものの、逃れられない宿命として死がある。死を予感したり、死を眼前にするとき、人々は現世との永遠の訣別を思い、深い寂しさに心を震わせたり、激しく慟哭する。その末期の眼がとらえた心情が契機となって、文学作品が創作されることも多い。けれども、死の到来からくる悲傷は、なにも当時者に限ったことではない。後に残された肉親や近親者にとっても大きな衝撃を与える。そこに死者に対する追悼や追善が行われ、哀傷歌が誕生する。この現象は、人間界において不変に繰り返されてきたもので古代の「万葉集」における挽歌の占める重量感をもってしても納得できる。挽歌の世界は、「古今集」の成立のとき、巻十六の哀傷部に継承された。四季歌・恋歌に比較すれば、その比重は著しく減少したが、一首一首に込められた心情は、その背景に思いをいたすとき、深く重い響きを伝えている。「古今集」の哀傷の部立は、これ以降、室町期まで連綿と続いた勅撰集に一つの典型を与え、多くの勅撰集が哀傷部を特設している。なかには哀傷の部立を持たぬ勅撰集もあるが、雑部のそれに等しい領域を有する。この傾向は、私家集などにも影響を与えた。頓阿の家集「草庵和歌集」(以下「草庵集」と略称)にも、巻十のなかに哀傷部を特設し、四十余首の歌を掲載する。先述した哀傷歌誕生の意味を考慮するとき、私家集の哀傷歌の世界を考究することは、その歌人の思想や抒情の質の一面や生涯における人と人との交誼の縮図を見ることも可能であろう。この稿で、「草庵集」の哀傷歌にスポットをあて、部立の配列や構成、また追悼を行った人物と、そこに込められた抒情を瞥見しようと試みるのも、この点を念頭においてのことである。
出版物タイトル 岡山大学教育学部研究集録
発行日 1984
66巻
1号
開始ページ 1
終了ページ 19
ISSN 0471-4008
言語 日本語
論文のバージョン publisher
NAID 120002311170
JaLCDOI 10.18926/bgeou/9211
フルテキストURL 065_0323_0341.pdf
著者 稲田 利徳|
抄録 頓阿の家集「草庵和歌集」(以下「草庵集」と略称)は、その成立当初より歌人たちの注目を集め、二条派の規範的な和歌を集めた歌集として大いに享受された。この趨勢は江戸時代になっても持続され、香川宣阿の「草庵集蒙求諺解」(享保八年刊、正続二十巻)、それを批判した、桜井元茂の「草庵集難註」(享保十五年刊、二巻)、本居宣長の「草庵和歌集類題」(元禄八年刊、蜂谷又玄編)、「草庵類句和歌(元禄一二年刊)などの類題本や索引などが多数刊行された。
出版物タイトル 岡山大学教育学部研究集録
発行日 1984
65巻
1号
開始ページ 23
終了ページ 41
ISSN 0471-4008
言語 日本語
論文のバージョン publisher
NAID 120002311056
JaLCDOI 10.18926/bgeou/9192
フルテキストURL 064_0331_0356.pdf
著者 稲田 利徳|
抄録 正徹の家集「草根集」全十五巻のうち、巻一には、いわゆる定数歌の類が十三種まとめて収められている。この十三種の定数歌を、名称、詠歌年時、詠歌場所に留意して表示すると第Ⅰ表のようになる。
出版物タイトル 岡山大学教育学部研究集録
発行日 1983
64巻
1号
開始ページ 31
終了ページ 56
ISSN 0471-4008
言語 日本語
論文のバージョン publisher
NAID 120002311125
JaLCDOI 10.18926/bgeou/9178
フルテキストURL 064_0109_0121.pdf
著者 山中 芳和|
抄録 本稿が明らかにしたいとおもうことがらは以下のとおりである。すなわち、本居宣長の古道論の特質を教えとの関連において考察し、このことを通して宣長の古道論において、道学的といってもよい性格がみられることを明らかにする。そしてこの道学的性格が、その後、更に積極的に拡充されていくことにより、教化的性格をおびた国学が出現することを、藤井高尚の場合を例にとって検討していくことである。国学における教化論の展開については、従来次のようなことがいわれてきた、「国学神道による教化の障碍は篤胤によってひとつひとつ除去され神道を手段として教化の手は人間の内的心情の奥深くまで滲透する。」ようになったと。だが、本稿のような作業を経ることによって、実は、宣長の学問の歌文の方面での継承者においても、教化への志向がみられることが指摘されねばならないことが明らかになるものと思われる。
キーワード 本居宣長 古道論 藤井高尚 教化論
出版物タイトル 岡山大学教育学部研究集録
発行日 1983
64巻
1号
開始ページ 109
終了ページ 121
ISSN 0471-4008
言語 日本語
論文のバージョン publisher
NAID 120002311100
JaLCDOI 10.18926/bgeou/9176
フルテキストURL 064_0077_0087.pdf
著者 柳原 正文|
抄録 反応時間パラダイムによる認知情報処理過程の分析を通じて,P300の中枢発現機序を考察した。文字刺激を用いて,刺激媒介系の異なる四つの異同判断課題を与えた結果,刺激対の照合決定過程の発動に呼応してP300が出現することが明らかにされた。P300の頂点潜時が反応時間よりも20~30msec先行する事実を指摘し,最近の研究成績との関連を論じた。
出版物タイトル 岡山大学教育学部研究集録
発行日 1983
64巻
1号
開始ページ 77
終了ページ 87
ISSN 0471-4008
言語 日本語
論文のバージョン publisher
NAID 120002311164
JaLCDOI 10.18926/bgeou/9166
フルテキストURL 063_0231_0242.pdf
著者 稲田 利徳|
抄録 南北朝期に為世門の四天王として歌壇に活躍した歌僧頓阿には正・続の「草庵和歌集」なる家集が現存し、そこには約二〇〇〇首に近い和歌が収録されている。頓阿の歌は、この家集のほかに、百首歌が幾種類かあり、また、勅撰集、私撰集、歌合などにも散見される。斎藤彰氏は、すでに頓阿の詠歌資料の中で信頼できるものを整理し、二一四六首と一〇一句を集計されているが、本稿では、そこで触れられなかった、頓阿の自筆の懐紙、短冊などを中心に、これまで収集したものを紹介、検討してみたい。(但し、後述するもののうち、「高野山金剛三昧院奉納短冊和歌」と大山祇神社蔵「詠三首和歌」のふたつは、斎藤氏も集計に加えられている。)
出版物タイトル 岡山大学教育学部研究集録
発行日 1983
63巻
1号
開始ページ 231
終了ページ 242
ISSN 0471-4008
言語 日本語
論文のバージョン publisher
NAID 120002311130
JaLCDOI 10.18926/bgeou/9146
フルテキストURL 062_0213_0225.pdf
著者 稲田 利徳|
抄録 頓阿の家集「草庵和歌集」は、成立以後、当代及び室町時代を通して二条派の歌人達を中心に広く享受されてきた。とりわけ江戸時代になると、香川宣阿の「草庵和歌集蒙求諺解」、桜井元茂の「草庵集難註」、本居宣長の「草庵集玉箒」などの注釈書が板本として出版されたほか、他にも多くの注釈書類が写本で現存しており、その享受の広さ深さが窺える。また、歌論書や聞書類の中でも、頻繁に頓阿の和歌のことが話題になっており、中世・近世の堂上派歌人に与えた「草庵集」の影響がいかに大きかったかが痛感される。ここでは、そういった享受の様相の一端を窺うために、江戸期の歌論聞書である「詞林拾葉」(磯の浪)をとりあげてみたい。享受の様相を整理、鮮明にする事は、同時に「草庵集」の諸本の問題や頓阿の和歌の特質に触れることにもなると考えるからである。
出版物タイトル 岡山大学教育学部研究集録
発行日 1983
62巻
1号
開始ページ 13
終了ページ 25
ISSN 0471-4008
言語 日本語
論文のバージョン publisher
NAID 120002311119
JaLCDOI 10.18926/bgeou/9130
フルテキストURL 061_0111_0126.pdf
著者 稲田 利徳|
抄録 慶運は為世門の和歌四天王と称され、頓阿・浄弁・兼好などとともに、南北朝に活躍した歌僧である。二条良基はその著「近来風體」の中で「其比は頓慶兼三人何も〱も上手とはいはれし也。(中略)慶運はたけを好、物さびてちと古體にかゝりてすがた心はたらきて、みゝにたつ様に侍し也。爲定大納言は殊の外に慶運をほめられき。」(歌学大系本)と評しており、無視できない歌人である。
出版物タイトル 岡山大学教育学部研究集録
発行日 1982
61巻
1号
開始ページ 11
終了ページ 26
ISSN 0471-4008
言語 日本語
論文のバージョン publisher
NAID 120002311134
JaLCDOI 10.18926/bgeou/9120
フルテキストURL 060_0413_0427.pdf
著者 稲田 利徳|
抄録 「徒然草」の著者に自撰家集のあることは広く知られているが、「徒然草」に比較してはるかに研究者の関心が低くて、関連論文も微々たるものである。しかし、「兼好自撰家集」を「徒然草」の世界を念頭において読むと、兼好の苦悩や本音が吐露されていて実に興味深い。その味は、同じ和歌四天王の頓阿や慶運の和歌とは違い、詞書を含めて読むと、しみじみと彼の人生性に触れることができるところにある。その点、「兼好自撰家集」は「徒然草」理解の補助的な資料にとどまるものでなく、一人の人間の心情の軌跡を示すものとしての位置を与えられてよい。ところで、いざ秀歌を選ぶとなると、特別にこれこそはと目を引くものは少ない。そこで、ここでは詞書を含めて味わい深いものを選んで評釈を行ってみたい。
出版物タイトル 岡山大学教育学部研究集録
発行日 1982
60巻
1号
開始ページ 13
終了ページ 27
ISSN 0471-4008
言語 日本語
論文のバージョン publisher
NAID 120002311120
JaLCDOI 10.18926/bgeou/9082
フルテキストURL 059_0267_0276.pdf
著者 稲田 利徳|
抄録 頓阿の家集「続草庵集」から秀歌を抄出して評釈を行いたい。評釈の方法は、本誌に発表した「『草庵集』秀歌評釈」(上・下)(第五十七号)と同じである。注釈書としては「続草庵集蒙求諺解」(五巻)(諺解と略称)と「続草庵集玉箒」(三巻)(玉箒と略称)を参考にする。また、本文は「私家集大成中世Ⅲ」所収の書陵部本(五〇一・二四九)を底本とし、それに承応版本(承応本)、島原松平文庫本(松平本)、架蔵本(架本)の三本をもって校合する。
出版物タイトル 岡山大学教育学部研究集録
発行日 1982
59巻
1号
開始ページ 267
終了ページ 276
ISSN 0471-4008
言語 日本語
論文のバージョン publisher
NAID 120002311092
JaLCDOI 10.18926/bgeou/9043
フルテキストURL 058_0204_0216.pdf
著者 稲田 利徳|
抄録 頓阿の家集「草庵集」から、秀歌を抄出して評釈を行いたい。「草庵集」は今日ではほとんど顧みられないが、南北朝期、室町時代、江戸時代を通して、二条派歌風を代表とする歌集として、非常に広い階層の人々に享受されてきた。それだけにいくつかの注釈書も刊行されているが、ここでは香川宣阿の「草庵集蒙求諺解」(正続二〇巻)(諺解と略称)と、それを批判した本居宣長の「草庵集玉箒」(正続一〇巻)(玉箒と略称)を参考にする。「草庵集」の歌は、平易で解釈を必要としないと思えるものが多いが、仔細にみると、彼なりに伝統をおさえたうえで、さらに新味をだそうと苦心しているところがある。ここでは、その点にも着目して評釈してゆきたい。また、「草庵集」の本文は、書陵部本(511-11)を底本にした『私家集大成中世Ⅱ』に依拠し、さらに、承応版本(承応本と略称)、島原松平文庫本(松平本と略称)、内閣文庫本(内閣本と略称)との本文校異も行いたい。本文には私意に濁点を施し、「私家集大成」の番号を歌の下に記す。
出版物タイトル 岡山大学教育学部研究集録
発行日 1981
58巻
1号
開始ページ 204
終了ページ 216
ISSN 0471-4008
言語 日本語
論文のバージョン publisher
NAID 120002311054
JaLCDOI 10.18926/bgeou/9027
フルテキストURL 057_0228_0242.pdf
著者 稲田 利徳|
抄録 頓阿の家集「草庵集」から、秀歌を抄出して評釈を行いたい。「草庵集」は今日ではほとんど顧みられないが、南北朝期、室町時代、江戸時代を通して、二条派歌風を代表とする歌集として、非常に広い階層の人々に享受されてきた。それだけにいくつかの注釈書も刊行されているが、ここでは香川宣阿の「草庵集蒙求諺解」(正続二〇巻)(諺解と略称)と、それを批判した本居宣長の「草庵集玉箒」(正続一〇巻)(玉箒と略称)を参考にする。「草庵集」の歌は、平易で解釈を必要としないと思えるものが多いが、仔細にみると、彼なりに伝統をおさえたうえで、さらに新味をだそうと苦心しているところがある。ここでは、その点にも着目して評釈してゆきたい。また、「草庵集」の本文は、書陵部本(511-11)を底本にした『私家集大成中世Ⅱ』に依拠し、さらに、承応版本(承応本と略称)、島原松平文庫本(松平本と略称)、内閣文庫本(内閣本と略称)との本文校異も行いたい。本文には私意に濁点を施し、「私家集大成」の番号を歌の下に記す。
出版物タイトル 岡山大学教育学部研究集録
発行日 1981
57巻
1号
開始ページ 228
終了ページ 242
ISSN 0471-4008
言語 日本語
論文のバージョン publisher
NAID 120002311066
JaLCDOI 10.18926/bgeou/9002
フルテキストURL 056_0288_0298.pdf
著者 稲田 利徳|
抄録 正徹の歌話を筆録した「正徹物語」には、所々に彼自身の和歌が引用されており、なかには自注を施しているものもある。その引用歌は、特に秀歌として取り出してきたというより、前後の歌話の続きがらから、具体的な詠歌として引用されることが多い。だから、特に自讃歌だけを掲載したわけではないであろうが、引用にあたっては、自作の中で、技巧や表現や発想などに一角のものをとりあげている傾向が窺える。従って「正徹物語」に掲載された正徹の歌を評釈することは、同時に彼自身の口を通して、その詠歌理念などを察知する手掛りを得ることにもなろう。「草根集」の歌でなく、あえて「正徹物語」の歌の方に照明を当てて問題視するのは、かかる意味合いもあってのことである。「正徹物語」は、日本古典文学大系の『歌論集 能楽論集』に頭注を施されたものがあるが、そこには誤謬や不可解な解釈も少なくない。正徹の和歌の世界の一端に触れるべく、以下、古典文学大系本を底本にして、一首ごとに評釈を行う。なお、幾音か、拙著『正徹の研究中世歌人研究』の「秀歌三十首評釈」と重なるものがあることを、あらかじめ諒承願いたい。出典の明らかものは出所を示して、本文校異を行い、出典未詳のものは「正徹物語」諸本の間での校異を示す。歌の下の数字は古典文学大系の段落項目数を、〔出典〕の項の数字は『私家集大成』所収「草根集」の歌番号を示す。
出版物タイトル 岡山大学教育学部研究集録
発行日 1981
56巻
1号
開始ページ 288
終了ページ 298
ISSN 0471-4008
言語 日本語
論文のバージョン publisher
NAID 120002311176