
検索結果 1347 件
| 著者 | 吉田 彰| |
|---|---|
| 発行日 | 1999-08-31 |
| 出版物タイトル | 岡山医学会雑誌 |
| 巻 | 111巻 |
| 号 | 3-8号 |
| 資料タイプ | 学術雑誌論文 |
| 著者 | 高原 香| |
|---|---|
| 発行日 | 2000-02-29 |
| 出版物タイトル | 岡山医学会雑誌 |
| 巻 | 111巻 |
| 号 | 9-12号 |
| 資料タイプ | 学術雑誌論文 |
| 著者 | 江草 正彦| |
|---|---|
| 発行日 | 2000-08-31 |
| 出版物タイトル | 岡山医学会雑誌 |
| 巻 | 112巻 |
| 号 | 3-8号 |
| 資料タイプ | 学術雑誌論文 |
| 著者 | 五島 正規| |
|---|---|
| 発行日 | 2000-02-29 |
| 出版物タイトル | 岡山医学会雑誌 |
| 巻 | 111巻 |
| 号 | 9-12号 |
| 資料タイプ | 学術雑誌論文 |
| 著者 | 大津 忠弘| |
|---|---|
| 発行日 | 2000-08-31 |
| 出版物タイトル | 岡山医学会雑誌 |
| 巻 | 112巻 |
| 号 | 3-8号 |
| 資料タイプ | 学術雑誌論文 |
| 著者 | 高橋 義雄| 難波 祐三郎| 岸本 晃司| 光嶋 勲| |
|---|---|
| 発行日 | 2001-12-31 |
| 出版物タイトル | 岡山医学会雑誌 |
| 巻 | 113巻 |
| 号 | 3号 |
| 資料タイプ | 学術雑誌論文 |
| 著者 | 三宅 正展| |
|---|---|
| 発行日 | 2003-01-31 |
| 出版物タイトル | 岡山医学会雑誌 |
| 巻 | 114巻 |
| 号 | 3号 |
| 資料タイプ | 学術雑誌論文 |
| 著者 | 高嶋 成輝| 伊達 洋至| 青江 基| 山下 素弘| 安藤 陽夫| 清水 信義| |
|---|---|
| 発行日 | 2003-01-31 |
| 出版物タイトル | 岡山医学会雑誌 |
| 巻 | 114巻 |
| 号 | 3号 |
| 資料タイプ | 学術雑誌論文 |
| 著者 | 石濱 琢央| |
|---|---|
| 発行日 | 2004-01-30 |
| 出版物タイトル | 岡山医学会雑誌 |
| 巻 | 115巻 |
| 号 | 3号 |
| 資料タイプ | 学術雑誌論文 |
| 著者 | 西田 在賢| |
|---|---|
| 発行日 | 2005-01-31 |
| 出版物タイトル | 岡山医学会雑誌 |
| 巻 | 116巻 |
| 号 | 3号 |
| 資料タイプ | 学術雑誌論文 |
| 著者 | 光延 文裕| |
|---|---|
| 発行日 | 2005-01-31 |
| 出版物タイトル | 岡山医学会雑誌 |
| 巻 | 116巻 |
| 号 | 3号 |
| 資料タイプ | 学術雑誌論文 |
| 著者 | 越智 浩二| |
|---|---|
| 発行日 | 2007-01-04 |
| 出版物タイトル | 岡山医学会雑誌 |
| 巻 | 118巻 |
| 号 | 3号 |
| 資料タイプ | 学術雑誌論文 |
| 著者 | 阪口 義彦| 林 哲也| 黒川 顕| 中山 恵介| 大島 健志郎| 藤永 由佳子| 大西 真| 大坪 栄一| 服部 正平| 小熊 惠二| |
|---|---|
| 発行日 | 2007-01-04 |
| 出版物タイトル | 岡山医学会雑誌 |
| 巻 | 118巻 |
| 号 | 3号 |
| 資料タイプ | 学術雑誌論文 |
| 著者 | 原田 馨太| |
|---|---|
| 発行日 | 2008-06-30 |
| 出版物タイトル | |
| 資料タイプ | 学位論文 |
| JaLCDOI | 10.18926/13317 |
|---|---|
| タイトル(別表記) | Regional Disparity Problem and Its Structure in the East Region of EU |
| フルテキストURL | 6_045_058.pdf |
| 著者 | 田口 雅弘| |
| 抄録 | 本稿は、EU東部地域の経済格差の現状をEU中心部との比較、また国内における県別の比較を行い、その構造を明らかにするものである。 1997年 7月に欧州委員会は「アジェンダ2000」を発表した。これによって、ポーランドを含む旧東欧 5カ国およびキプロスの先行加盟が準備され始める。こうした動きに並行して、コソヴォ紛争の深刻化などに伴い、EUは「拡大によるEUの安定化」志向を強めることとなる。最終的には、2004年に10ヵ国、2007年に 2ヵ国が新規に加盟した。 EU東方拡大は、全般的にはEUの政治的・経済的安定化に貢献したが、しかしながら、地域経済圏拡大はかならずしもクロスボーダーリージョンの安定化につながっているわけではない。むしろ、EU拡大によって生じた摩擦や対立もある。それは、現在EU内で急速に拡大志向の議論が萎み、「拡大」よりは「深化」に重点を置く議論が中心になりつつあることにも表れている。もちろん、その背景には、「拡大」が経済圏・文明圏として重要な地域をほぼ包括しつつあること、EU周辺の政治的混乱が収まりつつあることなどがあるだろう。しかしその一方で、拡大によって逆に多様性=不安定要素を取り込んでしまい、その対応に多くの労力と資金がつぎ込まれて、拡大のメリットが十分に享受できないという「拡大疲れ」を伴った不満もある。 本稿では、経済格差、経済発達の遅れがどの程度のレベルにあるかを、ポーランドを中心に統計的に整理し、その構造を明らかにすることによって、クロスボーダーリージョン安定化を考える上でのひとつの材料としたい。 |
| 出版物タイトル | 北東アジア経済研究 |
| 発行日 | 2008 |
| 巻 | 6巻 |
| 号 | 1号 |
| 開始ページ | 45 |
| 終了ページ | 58 |
| ISSN | 1880-8476 |
| 言語 | 日本語 |
| 論文のバージョン | publisher |
| NAID | 120002310248 120002310248 |
| JaLCDOI | 10.18926/13314 |
|---|---|
| タイトル(別表記) | Current Progress Stage of the Chinese Economy and Its New Role in East Asian Economic Cooperation |
| フルテキストURL | 6_005_020.pdf |
| 著者 | 趙 偉| |
| 抄録 | 東アジア経済協力を論ずる際に、中・日・韓三国の役割を忘れてはならない。特に中国という要素を忘れてはならない。また東アジア経済協力における中国という要素を論ずるに当たって、一つの現実的問題-すなわち、最近20年以上にわたる中国経済の非常に急速な成長-を見逃してはならない。この中国の急速な成長は、積極的な対外開放戦略に大きく依存して実現されているからだ。東アジア経済協力における中国の地位と役割には、大きな変化が生じつつある。この点には疑問の余地はない。これは近年東アジア経済界で関心が高まっている問題の一つでもある。しかし、これまで上記の問題を論じる際には、学界・実業界・政界のいずれにあっても、誰もが例外なく中国経済を (人口や国土面積などの)外面的要素から判断しようとしたことに留意しなければならない。言い換えれば、中国以外の東アジア経済と比較した中国経済の規模から始まり、その影響力、ひいては東アジア経済協力における新たな地位について、外面的要素から判断しようとしたのは留意すべきことである。一つの経済の外部に対する影響力は、その経済の外的な規模に限られるわけではなく、内部の社会経済発展と変化によっても決定される。この点を認識できなければ、例えば、人口も国土面積も中国の最も小さな省より小さいスイスという国の世界と地域に与える影響力が、多くの中進国よりも大きい、という事実を理解できないだろう。 このような認識に基づき、筆者は本論文で中国経済の内的発展段階の分析を出発点に、中国経済の東アジア経済協力における新たな地位と展望について論じたい。 |
| 出版物タイトル | 北東アジア経済研究 |
| 発行日 | 2008 |
| 巻 | 6巻 |
| 号 | 1号 |
| 開始ページ | 5 |
| 終了ページ | 20 |
| ISSN | 1880-8476 |
| 言語 | 日本語 |
| 論文のバージョン | publisher |
| NAID | 120002310317 |
| JaLCDOI | 10.18926/bgeou/13295 |
|---|---|
| タイトル(別表記) | Essai sur la Reforme de la Formation des Instituteurs en la Troisieme Republique (4) |
| フルテキストURL | 138_055_065.pdf |
| 著者 | 尾上 雅信| |
| 抄録 | 本稿では, 1879年師範学校設置法の成立過程について,上院における審議の前半部分をとりあげ,その概要をまとめるとともに,とくに改革立案・推進主体の言説の特徴を考察した。具体的には,①上院に提案された法案,②上院の法案検討委員会の報告,③法案審議における反対論,④法案検討委員長の答弁,の4点について概要を示し,それぞれの特徴を検討した。②および④の言説からは,法案により新たに設置される師範学校の教育について,既存の師範講座との比較において,「教授法の授業」「子どもに関する学問」「附属学校」における「実習」を中核とする「専門的 (職業的)教育」の充実による優越性を強調していたことがあきらかとなった。また,③の反対論からは,法案さらにその立案主体の意図が修道会に代表される宗教的勢力による教育の廃止をめざすものとして理解され,それを根拠に批判および反対がなされていたことをあきらかにした。 |
| キーワード | 第三共和政 師範学校 教員養成 上院 師範講座 |
| 出版物タイトル | 岡山大学教育学部研究集録 |
| 発行日 | 2008-06-25 |
| 巻 | 138巻 |
| 開始ページ | 55 |
| 終了ページ | 65 |
| ISSN | 0471-4008 |
| 関連URL | http://eprints.lib.okayama-u.ac.jp/10992/ http://eprints.lib.okayama-u.ac.jp/11182/ http://eprints.lib.okayama-u.ac.jp/12270/ http://eprints.lib.okayama-u.ac.jp/14140/ |
| 言語 | 日本語 |
| 論文のバージョン | publisher |
| NAID | 120002310625 |
| JaLCDOI | 10.18926/13282 |
|---|---|
| タイトル(別表記) | On the Steams of Sanbutaro |
| フルテキストURL | 25b_013_027.pdf |
| 著者 | 高森 望| |
| 抄録 | 「さんぶ太郎」は人間の男と大蛇の女から生まれた巨人である。男と女が出会い、結婚をし、さんぶ太郎が生まれる。ある日女が大蛇であることが分かり、女は男とさんぶ太郎の前から去る。その後さんぶ太郎は京まで三歩で行けるほど成長したが、恋敵または恋人により殺される。 その物語は美作地方で伝承されており、現在では多くの本に収録されている。この「さんぶ太郎」薄のテクストの中に、主人公のさんぶ太郎が美作地方に土着した菅家の子孫で、中世に美作地方で活躍した菅原三穂太郎浦佐という実在の人物であることが記されているものがある。その大半はさんぶ太郎の父親が菅家の末商であることを簡潔に記しているだけであるが、いくつかのテクストではさんぶ太郎の父親に至るまでの流れや、さんぶ太郎以後活躍した子孫について詳しく記している。 次ページに「さんぶ太郎」帯のテクスト一覧を掲げ、さんぶ太郎の家系について全く記さないものには「×」、詳細ではないが、さんぶ太郎が菅家の末商であることやさんぶ太郎の子どもが菅家七流と呼ばれていることを記すものには「△」、さんぶ太郎の家系について詳しく記すものには「○」をそれぞれ右端の欄に記している。本稿では、この「○」を付した、さんぶ太郎の家系を詳しく記すテクストを取り上げ、その歴史性を検証しておきたい。その作業は、暖昧模糊とした「さんぶ太郎」帯の成立に関して、明確ではないながらも、一つの輪郭線を引くことを可能にするであろう。 |
| 出版物タイトル | 岡山大学大学院社会文化科学研究科紀要 |
| 発行日 | 2008-03-31 |
| 巻 | 25巻 |
| 号 | 1号 |
| 開始ページ | 13 |
| 終了ページ | 27 |
| ISSN | 18811671 |
| 言語 | 日本語 |
| 著作権者 | 岡山大学大学院社会文化科学研究科 |
| 論文のバージョン | publisher |
| NAID | 120002310529 |
| JaLCDOI | 10.18926/13246 |
|---|---|
| タイトル(別表記) | Attributes of Adverbs of Frequency |
| フルテキストURL | 24_095_105.pdf |
| 著者 | 八尾 由子| |
| 抄録 | 頻度を表す副詞トキドキとトキオリとは、複数の辞書において相互に解説に用いられていたり、『分類語嚢表増補改訂版』 (2004)でも同一グループに分類されていたりする 1。しかし両者の用例を観察すると、その現われ方がかなり異なっていることがわかる。もっとも明らかな違いは用いられる文体である。トキオリが話し言葉では用いられにくいのに対して、トキドキには文体上の制限はほとん ど見られない。また、頻度の高低という点で比較すると、トキオリはトキドキに比べ、頻度がやや低い印象を与える2。しかし両者は文体の違いや頻度の高低だけでなく、それを用いて表される事態の性質も異なっている。文中のトキオリをトキドキに換えることはほとんどの場合可能だが、その道は必ずしも可能ではない。 本稿の目的は、事態の時間的限定性、そして話し手が当該事態をどのようにとらえているか、この二つの角度からトキドキとトキオリとの相違点を明らかにすることである。 |
| 出版物タイトル | 岡山大学大学院社会文化科学研究科紀要 |
| 発行日 | 2007-11 |
| 巻 | 24巻 |
| 号 | 1号 |
| 開始ページ | 95 |
| 終了ページ | 105 |
| ISSN | 18811671 |
| 言語 | 日本語 |
| 著作権者 | 岡山大学大学院社会文化科学研究科 |
| 論文のバージョン | publisher |
| NAID | 120002310474 |
| JaLCDOI | 10.18926/13245 |
|---|---|
| タイトル(別表記) | The Mongolian View of the Cosmos and the Spirit in the Early Modern Times |
| フルテキストURL | 24_081_093.pdf |
| 著者 | 包 龍| |
| 抄録 | 現代モンゴル人は、大抵が人は死ぬとまた生まれ変わることができるという輪廻転生の観念をもっている。この生まれ変わる段階で何に生まれ変わるか、あるいはどのような人物に生まれ変わるか、または六道輪廻から解脱するかはその人のガルマ (善悪の業困)によって決定されると信じられている。従ってその世界観が天界、地下界、 (地獄)中間界などに分かれるのである。 この明らかな仏教的思想をモンゴルの人々が本格的に受け入れ始めたのは、いまから430年ぐらい前のことである。この歴史も長そうではあるが、北方民族やモンゴル民族の歴史に比較すると、まだ浅いものだといえる。 では、こうした仏教的宇宙観や霊魂観を受け入れる前、あるいは仏教の流れが行き届かなかった辺境地のモンゴル人社会ではどのような世界観がみられるのかを考察する必要がある。チベット仏教がモンゴルに流入し始めたのは、西部では1570年代で、東部では1620年代のことである。「ハイシッヒ1998など」モンゴル帝国時代には、チベット仏教を始めとする多くの宗教がモンゴルを改宗しようと努力した様子はあったが、モンゴル本土 (原任地モンゴル高原)にはそれほど浸透しなかったのである。一時フビライ・ハーンがチベット仏教サキヤ派を信仰し、バクパ・ラマを国師にしてモンゴルの貴族たちを仏教化する時代はあったが、これもモンゴル帝国の崩壊によって、モンゴルへの影響が失われたといえる。中国から北の本土 (モンゴル高原)へと追放された人々は仏教を持ち帰ることができず、再びシャマニズムを信仰するようになった「エルデムト2001など」。そのため北元時代の人々もシャマニズムを信仰し、昔同様な世界観と霊魂観をもっていたと考えられる。 しかし現在では、モンゴル・シャマニズムの宇宙観や霊魂観に対する説明は非常に複雑な様子をみせている。仏教あるいは他の宗教の影響で古代モンゴル人の持っていた宇宙観や霊魂観が徐々に薄れて行き、仏教的宇宙観や霊魂観と混在した状態といえる。こうした中、一部のシャマンあるいは研究者でさえ、この混在した様子から抜け出せずにモンゴル・シャマニズムの宇宙観や霊魂観に対する 誤った説明を行っていると思われる。 それはつまりシャマニズムに地獄が作られたり、地下界があったり、あるいはシャマンの霊魂が生まれ変わるなどといった解釈である。しかしこれらは明らかに仏教寄りの世界観であって、シャマニズム本来の独自性を表すことができていないようである。 またたとえばモンゴル帝国時代のモンゴル軍の強さを分析した研究にしても、従来はほとんどがモンゴル人の騎馬民族的性格からの研究や軍の組織への研究または兵術や兵器の研究などによって説明が試みられる。しかし実際モンゴル人の宇宙観や霊魂観などの内心的なものがどのように影響していたかに対する研究は、世界またはモンゴルにおいても余り行われていないようである。では、以下いくつかの物語や研究などから当時のモンゴル人の宇宙観や霊魂観を考察してみよう。 |
| 出版物タイトル | 岡山大学大学院社会文化科学研究科紀要 |
| 発行日 | 2007-11 |
| 巻 | 24巻 |
| 号 | 1号 |
| 開始ページ | 81 |
| 終了ページ | 93 |
| ISSN | 18811671 |
| 言語 | 日本語 |
| 著作権者 | 岡山大学大学院社会文化科学研究科 |
| 論文のバージョン | publisher |
| NAID | 120002310361 |