JaLCDOI 10.18926/OER/12392
タイトル(別表記) Unemployment in France
フルテキストURL 39_201_214.pdf
著者 清水 耕一|
抄録 フランスを含むEU の労働市場は全体として日米に比較して高い失業率で知られている。ユーロスタット(Eurostat)の失業率統計によって1995年までのEU 加盟国(15カ国)の失業率をみると,1995年に平均失業率10%,25歳未満の若者の平均失業率は21.3%であり,2006年の失業率はそれぞれ7.4%と16.1%であった。同時期についてアメリカ合衆国の失業率は,1995年の平均失業率が5.6%,25歳未満の若者の失業率が12.1%であり,2006年ではそれぞれ4.6%と10.5%であった。1990年代以降のアメリカ合衆国の失業率は,EU 諸国以上の高失業率に苦しんだ1980年代と比較すれば大きく低下しているが,1990年代中頃以降は4~6%の範囲で循環的に変動し,この水準で安定している。これに対して,EU15カ国の平均失業率は1990年代の後半から低下傾向を示し,かつて「ヨーロッパの動脈硬化(eurosclérose)」を象徴する現象とみなされていた高失業率は解消されつつあるように思われ る。ところがフランスに注目すれば,平均失業率は1995年の11.1%から2006年の9.4%へと低下傾向を示しているものの,全期間を通じてEU15カ国平均よりも高く,しかも25歳未満の若者の失業率は1995年に28.4%と4人に1人が失業し,2006年においてもなお23.3%と5人に1人が失業している。かつてフランス以上の高失業率国家であったスペインの場合,1995年には平均失業率が18.4%,25歳未満の若者の平均失業率にいたっては39.7%と高率であったが,2006年の平均失業率は8.5%,また25歳未満の若者の失業率も17.6%と失業問題は大きく改善されている。これに対して,フランスは今や西欧のなかで最も失業率の高い国となり,若者の失業問題は憂慮すべき問題であり続けている。このフランスの第2次世界大戦後の平均失業率の推移については3つの局面を区別することができる。第1の局面は1955年から1973年までのいわゆる「栄光の30年」であり,この時期の失業率は1965年まで1~2%で変動し,1960年代後半からやや上昇して2%台で変動するようになったが,フランス経済は完全雇用経済であったといえる。第2の局面は第1次石油ショックの影響が労働市場に影響を及ぼすようになった1974年末から1987年までの時期である。この間,1974年の第4四半期に失業率が3%を越え,その後は1987年の第4四半期の10.7%まで,失業率は年々上昇し続け,1970年代末より失業が重要な社会経済問題になっていく。第3の局面は,1987年以降の局面であり,失業率は景気変動に合わせて変動するようになった。この時期は,平均失業率が11%を越えていた1993-1998年の期間と,1998年の35時間労働法によって雇用創出政策が行なわれ,また経済成長率の上昇の効果もあって失業率が低下傾向を示し始めた1999年以降の時期を区別することができる。以下,本稿はフランスにおける諸研究にもとづいて,この第2期における失業率上昇の原因(第1節),第3期の1990年代の高失業率の原因(第2節),そしてフランスにおける失業の構造的特徴(第3節)を説明することにする。
出版物タイトル 岡山大学経済学会雑誌
発行日 2008-03
39巻
4号
開始ページ 201
終了ページ 214
ISSN 03863069
言語 日本語
著作権者 岡山大学経済学会
論文のバージョン publisher
NAID 120002304879
JaLCDOI 10.18926/OER/12387
タイトル(別表記) Interreg Programs in the French and Swiss Border Regions
フルテキストURL 38_2_023_046.pdf
著者 清水 耕一| 石田 聡子|
抄録 EU の共同体イニシアティブの1つであるInterreg プログラムの主な目的は,EU 内の国境を挟む地域間の市民レベルでの協力関係を発展させ,国境を越えた地域間統合を進めることであるが,Interregには国境を接するEU 内地域とEU 外地域との間の協力関係を促進するという目的も含まれている。本稿の対象はこの後者のケースに属すフランスとスイスの国境地域におけるInterreg プログラムである。スイス・フランス間のInterreg に関しては,バーゼル国境地域あるいはオーバーライン地方というフランス,ドイツ,スイスの3カ国が接する地域に関する伊東(2003)と八木・若森(2006)の研究が存在するが,本稿の対象とする地域に関する研究は存在しない。よって,本稿では,主にInterreg II の『事後評価報告書』(LRDP,2003a,2003b)とInterreg IIIA の『中間評価』(Evaluanda,2003)に依拠して,フランス・スイス間の越境地域間協力の実態を示すことにしたい。なお,本稿が対象とするケースはInterreg プログラムのうち,国境を挟む地域間の協力事業プログラムであり,これは 歴史的に1990~1993年のInterreg I,1994~1999年のInterreg IIA および2000~2006年のInterreg IIIA へと発展してきている。本稿の対象となる地域のInterreg プログラムは,オーバーライン地方と同様に,EU 内のフランスとEU 外のスイスとの間の越境地域間協力事業である。対象となる地域は,フランス側ではリヨン(Lyon)を中心都市にもつローヌ・アルプ(Rhône−Alps)地域(レジョン)の東北部と,ブザンソン(Besançon)を中心都市とするフロンシュ・コンテ(Franche−Comté)地域の東部であり,スイス側ではバーゼル(Basel)とジュネーヴ(Genève)を結ぶスイス西部のフランス語地域である。よっ て,この両地域には言語の障害は存在しない。また歴史的には,ジュネーヴはローヌ・アルプ・レジョンのオート・サヴォワ(Haute−Savoie)県との結びつきが強く,ジュネーヴとアンヌマス(Annemasse)は国境を挟んだ大都市圏を発展させている。さらに労働市場を見れば,両地域の経済状態を反映していると言えるが,フランス側からスイス側への越境通勤者が多く(約4万人),経済的結びつきも深いように見える。実際,ピット(2003)はフランスのトランスボーダー地域の分類において,ジュネーヴ地域をリール地域と並ぶ「国境を越えた隣接地域間に密接な結びつきをもつ地域」に分類していた。ただし,Interreg II の『事後評価報告書』(LRDP,2003a)によれば,フランス・スイス国境地帯の孤立状態は中程度であるとされており,孤立状態の最も低いオーバーライン地方やフランス・ベルギー国境地帯ほどの緊密な結びつきはない。しかも,フランス・スイス国境地帯 は北部と南部では地理的・歴史的特性が異なり,ジュネーヴを中心としたレマン地域では地域連携が比較的緊密であるのに対して,北部のジュラ山脈という自然の障害をもつジュラ地域ではレマン地域ほど結びつきは強くない。このような地域的特性を反映して,Interreg IIA プログラムでは,ジュ ラ・プログラムとローヌ・アルプ・プログラムが別々に実施されてきた。よって以下では,Interreg対象地域の地域的特性を説明(第2節)した後に,まずはInterreg IIA のジュラ・プログラムとローヌ・アルプ・プログラムを概観して問題点を示す(第3節)。次いで,両プログラムをサブプログラムに包摂したInterreg IIIA フランス・スイス・プログラムのガバナンス上の特徴と問題点を示すことにする(第4節)。
出版物タイトル 岡山大学経済学会雑誌
発行日 2006-09
38巻
2号
開始ページ 23
終了ページ 46
ISSN 03863069
言語 日本語
著作権者 岡山大学経済学会
論文のバージョン publisher
NAID 120002304788
著者 清水 耕一|
発行日 2005
出版物タイトル 北東アジア経済研究
2巻
1号
資料タイプ 紀要論文
JaLCDOI 10.18926/9060
JaLCDOI 10.18926/9056
フルテキストURL 1_0217_0234.pdf
著者 Ren, Ji| Shimizu, Koichi|
キーワード ロシア 極東地域 経済
出版物タイトル 北東アジア経済研究
発行日 2004
1巻
1号
開始ページ 217
終了ページ 234
ISSN 1880-8476
言語 日本語
論文のバージョン publisher
NAID 120002311127