ある記録(有斐録)によると,江戸初期の備前藩主池田光政公は,「御涼所」を現在の岡
山市北区中原のあたりに定め,そこで暑さを凌いでいたそうである。
本論は,実際に夏期好晴日に岡山城近くと,中原での気温を測定し,それが二カ所でどの
ように違うか違わないかを調べた結果を示したものである。夏の好晴日だと10 分間程度の
短い間では5℃,一時間程度の長い間の平均値でも2℃程度,御涼所の方が低温であること
があることがわかった。つまり当時でも人が多かったであろう城下町より,大幅に低温であ
っただろうことが推定される。