わが国における作文・綴り方教育は、戦前に、芦田恵之助の随意選題の提唱や鈴木三重吉による「赤い鳥」の刊行等によって飛躍的に発展し、やがて生活綴り方の実践・理論によって、一つの頂点を迎えた。しかし、その後、いわゆる「生活綴り方事件」等によって、その活動は、徐々に衰退して行った。このような戦前の作文・綴り方教育は、戦後、一方で、新たな経験主義の立場に立つものとして、また一方で、戦前の成果を継承し発展させるものとして、復興・興隆した。本稿では、上のような、戦後の作文・綴り方教育に復興・興隆の契機の一つとなった国分一太郎の『新しい綴方教室』を取り上げ、その成立の背景を考察するとともに、同書が戦後の作文・綴り方教室の歴史の中で果たした位置・意義・役割等を考察する。