start-ver=1.4 cd-journal=joma no-vol=23 cd-vols= no-issue=1 article-no= start-page=17 end-page=29 dt-received= dt-revised= dt-accepted= dt-pub-year=2007 dt-pub=200703 dt-online= en-article= kn-article= en-subject= kn-subject= en-title= kn-title=『枕草子』自賛譚の行方―循環する賛辞― en-subtitle= kn-subtitle= en-abstract= kn-abstract=『枕草子』二六一段「うれしきもの」に、次のような一節がある。 もののをり、もしは人と言ひかはしたる歌の、聞えて、打聞などに書きいれらるる。みづからの上にはまだ知らぬことなれど、なほ思やるよ。 『枕草子』が、己の願望を充たすために清少納言によって書かれた「自作自演の歌語り」であるということは既に言われている通りであろう。しかし。これも既に言われていることであるが、『伊勢物語』や『大和物語』に見られる形式に則った「歌語り」は残されていない。おそらく彼女が志向したのは、彼女が権力闘争や愛憎劇に巻き込まれる生々しい物語ではなく、言葉でのみ関係性が保たれる物語であった。拙論では、『枕草子』の特徴としておそらく最も有名であろう「清少納言自賛」から、定子と清少納言の在り方、特に、前期章段と後期章段における両者の在り方の変化について見てゆく。 en-copyright= kn-copyright= en-aut-name= en-aut-sei= en-aut-mei= kn-aut-name=同免木利加 kn-aut-sei=同免木 kn-aut-mei=利加 aut-affil-num=1 ORCID= affil-num=1 en-affil= kn-affil=岡山大学 en-keyword=枕草子 kn-keyword=枕草子 en-keyword=自賛譚 kn-keyword=自賛譚 END start-ver=1.4 cd-journal=joma no-vol=23 cd-vols= no-issue=1 article-no= start-page=87 end-page=101 dt-received= dt-revised= dt-accepted= dt-pub-year=2007 dt-pub=200703 dt-online= en-article= kn-article= en-subject= kn-subject= en-title= kn-title=シャガールとユダヤ美術:《私と村》再考 en-subtitle= kn-subtitle= en-abstract= kn-abstract=本論では、《私と村》における十字架とダビデの星の併置、動物の擬人化、円形モティーフをハンディズムの思想から解釈する。それと共に、これらの形象がその本来の意味を曖昧にされることによって西欧的な近代美術の文脈に吸収された過程について考察する。 en-copyright= kn-copyright= en-aut-name= en-aut-sei= en-aut-mei= kn-aut-name=梶原麻奈未 kn-aut-sei=梶原 kn-aut-mei=麻奈未 aut-affil-num=1 ORCID= affil-num=1 en-affil= kn-affil=岡山大学 en-keyword=シャーガール kn-keyword=シャーガール en-keyword=ユダヤ美術 kn-keyword=ユダヤ美術 en-keyword=私と村 kn-keyword=私と村 END start-ver=1.4 cd-journal=joma no-vol=23 cd-vols= no-issue=1 article-no= start-page=31 end-page=45 dt-received= dt-revised= dt-accepted= dt-pub-year=2007 dt-pub=200703 dt-online= en-article= kn-article= en-subject= kn-subject= en-title= kn-title=ビザンティン聖堂壁画における預言者像:形、場、意味 en-subtitle= kn-subtitle= en-abstract= kn-abstract=ギリシア北部、マケドニア地方のヴェリアにある救世主キリスト復活聖堂(以下、キリスト聖堂と略す)は、14世紀初頭に建てられた単廊式のバシリカ小聖堂で、内部に画家カリエルギスによる創建当初からのフレスコを有する。身廊の壁面は三段の帯状に分割され、上段に新約の諸場面、中断に預言者や四福音書記者、諸聖人の胸像を含むメダイヨン、下段に修道士や軍人聖人などの全身像が描かれる。また、東壁のアブシスのコンクに立像の聖母子と二天使、コンク下部に四人の教父が配される。東壁最上段の破風状区画には「インマヌエルのキリスト」のメダイヨンを支える二天使と、旧約の王ダヴィデとソロモンが表され、正対する西壁の破風状区画にはどっしりとした体躯のヨアキムとアンナが描かれる。筆者は現在、このような装飾プログラムを有するキリスト聖堂の壁画について、特に中断のメダイヨンにおいて巻物を広げて左右を仰ぎ見る旧約の預言者像に注目して考察を進めているが、その描かれ方や構図上の特徴を明らかにするには、その前に、広くビザンティン聖堂一般において旧約の預言者がどのように表されているのかを把握しておかなければならない。 en-copyright= kn-copyright= en-aut-name=HashimuraNaoki en-aut-sei=Hashimura en-aut-mei=Naoki kn-aut-name=橋村直樹 kn-aut-sei=橋村 kn-aut-mei=直樹 aut-affil-num=1 ORCID= affil-num=1 en-affil= kn-affil=岡山大学 en-keyword=ビザンティン聖堂 kn-keyword=ビザンティン聖堂 en-keyword=預言者像 kn-keyword=預言者像 END start-ver=1.4 cd-journal=joma no-vol=23 cd-vols= no-issue=1 article-no= start-page=75 end-page=86 dt-received= dt-revised= dt-accepted= dt-pub-year=2007 dt-pub=200703 dt-online= en-article= kn-article= en-subject= kn-subject= en-title= kn-title=上海港の組織行動変化について en-subtitle= kn-subtitle= en-abstract= kn-abstract=中国改革開放政策の重要なポイントの一つは、大型国営企業の改革であり、その中心内容は企業の経営効率性と収益性を向上させるための組織改革である。改革の動きは、港湾関係企業にも及んでいる。中国の港湾は、計画経済の時代には100%国有、国営であり、80年代の改革初期段階には、港務局のもとで公務公司、集装箱碼頭公司がターミナル業務を行っていた。つまり、一つの港に一つのターミナル会社が原則で、そこに競争原理は働かなかった。したがって貨物の増加にともなって顕在化する独占による操業効率の低下、莫大な人件費支出、資金と新技術の導入困難などの構造的問題点が存在していた。本研究は、上海港におけるターミナル経営組織の一連の構造変化を各段階の組織構造の特徴を中心に整理する。 en-copyright= kn-copyright= en-aut-name= en-aut-sei= en-aut-mei= kn-aut-name=張驥 kn-aut-sei=張 kn-aut-mei=驥 aut-affil-num=1 ORCID= affil-num=1 en-affil= kn-affil=岡山大学 en-keyword=上海港 kn-keyword=上海港 en-keyword=組織構造変化 kn-keyword=組織構造変化 END start-ver=1.4 cd-journal=joma no-vol=23 cd-vols= no-issue=1 article-no= start-page=17 end-page=30 dt-received= dt-revised= dt-accepted= dt-pub-year=2007 dt-pub=200703 dt-online= en-article= kn-article= en-subject= kn-subject= en-title= kn-title=動産売買先取特権に基づく物上代位について en-subtitle= kn-subtitle= en-abstract= kn-abstract=動産売買先取特権に基づく物上代位の目的債権が譲渡され、その債権譲渡に対抗要件が整えられた後であっても、動産売買先取特権者はその物上代位を行使できるのか。動産売買先取特権に基づく物上代位は、昭和50年代頃から、信用売買における売主の売買代金債権の回収の実務において頻繁に利用されるようになった。それを反映して、最一小判昭和59年2月2日(民集38巻3号431頁。以下、「昭和59年最判」という)、最二小判昭和60年7月19日(民集39巻5号1326頁。以下、「昭和60年最判」という)、最一小判昭和62年4月2日(判例時報1248号61頁)、最三小判平成5年3月30日(民集47巻4号3300頁)、および、最三小判平成17年2月22日(民集59巻2号314頁。以下、「平成17年最判という)、の5つの最高裁判例がある。 en-copyright= kn-copyright= en-aut-name= en-aut-sei= en-aut-mei= kn-aut-name=町田余理子 kn-aut-sei=町田 kn-aut-mei=余理子 aut-affil-num=1 ORCID= affil-num=1 en-affil= kn-affil=岡山大学 en-keyword=動産売買先取特権 kn-keyword=動産売買先取特権 en-keyword=物上代位 kn-keyword=物上代位 END start-ver=1.4 cd-journal=joma no-vol=23 cd-vols= no-issue=1 article-no= start-page=1 end-page=15 dt-received= dt-revised= dt-accepted= dt-pub-year=2007 dt-pub=200703 dt-online= en-article= kn-article= en-subject= kn-subject= en-title=Interrelation Between Acceptance of Fortunetelling Information and Belief kn-title=占い情報の受容と信用度の関連 en-subtitle= kn-subtitle= en-abstract= kn-abstract=今や占い情報は、朝の情報番組やインターネットなどで容易に取得できる。多くの女性誌が占い情報を掲載し、インターネットでも占いサイトが充実している。占い師の出版する書籍がベストセラーになり、女性雑誌は占い特集号として刊行するとその売上が伸びる(種田、1998)。占いは産業として成り立ち、その市場規模は1兆円産業といわれる(「AERA 2003.11.3」)。1998年にNHK放送文化研究所が全国の16歳以上の男女を対象に実子した意識調査では、全対象者の23%が慣習的に占いをし、おみくじをひくと回答している。各年齢層の区分によれば、16〜29歳の間で対象者の43%が占いを慣習的に実施しており、年齢を増すごとに減少傾向にある。石川(1989)では大学生の約77%が本や雑誌の占い記事を「よくみる」、「時々みる」と回答しており、田丸・今井(1989)でも、対象者となった高校生の約30%が占いを「よくする」、「時々する」と回答している。学生を対象にした両調査では、占いの必要性についても調査しており、大学生の約38%(石川、1989)、高校生の約46%(田丸・今井、1989)が占いは世の中や現代に必要であると回答していることが紹介されている。これらのことから、占い情報はなんらかの理由で人々に取得されており、さらに人々が占いを必要としていると考えられる。 en-copyright= kn-copyright= en-aut-name=FukudaMari en-aut-sei=Fukuda en-aut-mei=Mari kn-aut-name=福田茉莉 kn-aut-sei=福田 kn-aut-mei=茉莉 aut-affil-num=1 ORCID= affil-num=1 en-affil= kn-affil=岡山大学 en-keyword=占い kn-keyword=占い en-keyword=受容 kn-keyword=受容 en-keyword=信用度 kn-keyword=信用度 END start-ver=1.4 cd-journal=joma no-vol=23 cd-vols= no-issue=1 article-no= start-page=1 end-page=15 dt-received= dt-revised= dt-accepted= dt-pub-year=2007 dt-pub=200703 dt-online= en-article= kn-article= en-subject= kn-subject= en-title= kn-title=夢野久作『ドグラ・マグラ』「はしがき」(草稿)に関する考察 en-subtitle= kn-subtitle= en-abstract= kn-abstract=夢野久作『ドグラ・マグラ』(松柏館書店、昭和十年)には、活字化されずに終わった「はしがき」なるものが存在する。「はしがき」は『ドグラ・マグラ』―当時のタイトルは「狂人の開放治療」の執筆期段階において試行されたものである。 本稿では杉山文庫所蔵の五種全ての「はしがき」草稿を対象に、その概要と構成を記し、またその注目すべき点などについて述べたいと思う。 en-copyright= kn-copyright= en-aut-name= en-aut-sei= en-aut-mei= kn-aut-name=大鷹涼子 kn-aut-sei=大鷹 kn-aut-mei=涼子 aut-affil-num=1 ORCID= affil-num=1 en-affil= kn-affil=岡山大学 en-keyword=夢野久作 kn-keyword=夢野久作 en-keyword=ドグラマグラ kn-keyword=ドグラマグラ en-keyword=はしがき kn-keyword=はしがき END start-ver=1.4 cd-journal=joma no-vol=23 cd-vols= no-issue=1 article-no= start-page=47 end-page=61 dt-received= dt-revised= dt-accepted= dt-pub-year=2007 dt-pub=200703 dt-online= en-article= kn-article= en-subject= kn-subject= en-title= kn-title=学校給食実施基準第二条の批判的検討序説 en-subtitle= kn-subtitle= en-abstract= kn-abstract=学校給食は児童・生徒を対象に教育の一環として実施されるようになり50年近くが経過した。現在、小学校では対象児童の99.4%にあたる718万人が、中学校では対象生徒の82.5%にあたる309万人が学校給食を受けており、学校給食が子どもたちの食生活の一部として定着した感がある。その一方で、埼玉県北葛飾郡鷲宮町議会では、「戦後60年を経た現在、学校給食はこの間十分その役割を果たし、見直しの時期に来ているものと判断する」(決議文より)として2005(平成17)年9月、「学校給食に弁当の日を設けることについて」という決議案が出され、それに対して反発した保護者たちが約7,000人の反対署名を議会と町教育委員会に提出したものの、賛成10、反対8で否決され、2006(平成18)年4月より「弁当の日」が設けられ、実施されるに至った。学校給食法が公布された時代とは食環境が大きく様変わりした現在において、学校給食が持つ使命を果たすために、「学校給食実施基準」第2条「学校給食は、当該学校に在学するすべての児童又は生徒に対し実施されるものとする」の見直しが必要であるのかどうか、検討する。 en-copyright= kn-copyright= en-aut-name= en-aut-sei= en-aut-mei= kn-aut-name=小野尚美 kn-aut-sei=小野 kn-aut-mei=尚美 aut-affil-num=1 ORCID= affil-num=1 en-affil= kn-affil=岡山大学 en-keyword=校給食実施基準第二条 kn-keyword=校給食実施基準第二条 en-keyword=学校給食の法的な位置づけ kn-keyword=学校給食の法的な位置づけ END start-ver=1.4 cd-journal=joma no-vol=23 cd-vols= no-issue=1 article-no= start-page=63 end-page=74 dt-received= dt-revised= dt-accepted= dt-pub-year=2007 dt-pub=200703 dt-online= en-article= kn-article= en-subject= kn-subject= en-title= kn-title=石井十次における天職観の成立 en-subtitle= kn-subtitle= en-abstract= kn-abstract=石井十次は、明治時代に岡山孤児院を設立し、孤児救済を実践したプロテスタントであり篤志家である。社会保障も確立していない明治時代の下層社会は、これらの民間人の事前事業により支えられていたといっても過言ではない。石井は慶應元年、宮崎に生まれる。その後明治15年、岡山縣甲種医学校で医学を、そして、岡山教会でキリスト教を学ぶために岡山へ遊学する。石井は医学を学び、信仰によりプロテスタンティズムを深めていくなかで、偶然に貧児と出会い、医師を目指す傍らで孤児救済に関わり始める。このような経過のなかで、石井は孤児救済へとまい進していくのだが、この背景には天職観があり、これが大きな原動力となっていた。そこで本論文の目的は、石井を孤児救済にまい進させた天職観に注目し、この思想の成立について考察することにある。天職観が形成される過程を考察することは、石井における孤児救済の原点を知ることであり、石井が孤児救済にまい進したのか、その答えを探す一つの手がかりになると考える en-copyright= kn-copyright= en-aut-name= en-aut-sei= en-aut-mei= kn-aut-name=山本浩史 kn-aut-sei=山本 kn-aut-mei=浩史 aut-affil-num=1 ORCID= affil-num=1 en-affil= kn-affil=岡山大学 en-keyword=石井十次 kn-keyword=石井十次 en-keyword=天職観 kn-keyword=天職観 en-keyword=孤児救済 kn-keyword=孤児救済 END