本稿では、朱子のいう「理」を、できるだけ深く掘り下げて解明することを試みる。
朱子学の重要な命題の一つである「理一分殊」とは、あらゆる物体がみな仁義礼智という
共通の性を有するが、仁義礼智の性のその具体的な現れとしての性が物によってそれぞれ異
なる、ということである。
理は、性にだけではなく、天、命、道、徳といった概念にも緊密に関係する。天としての
理は、理が人間の意志の如きものが全くない自然なるものであることを示すものであり、命
としての理は、本然の性(仁義礼智)または貧富・貴賤・死生・寿夭などといった運命的な
規定を意味し、道としての理は、事物の扱い方や物の使い方を意味し、徳としての理は、事
物の働きのあるべき様としての準則を意味する。
性はただ仁義礼智に過ぎない。仁義礼智は、ただ「五常の性」、つまり人間に内在する仁
義礼智信といった道徳の徳目だけを意味するものではなく、物の固有属性、つまり物に内在
するそのどういう働きをするかを決めるものとしての機能・能力などの属性をも意味するも
のである。
仁義礼智が「五常の性」と物の固有属性としての機能・能力との両義を併せ持つが故に、
「性即理」という命題が成立しうるのである。