ドイツにおける民法の統一は,1871年のビスマルク帝国の成立という政治統一を背景に
四半世紀の準備期間を経て, ようやく19世紀未になってはじめて達成された。本稿は,
1874年から1896年に至るドイツ民法典(BGB)の編纂史を辿りつつ,その法典が民法の統
一化を成し遂げ,近代市民社会の柚象的一般的私法として今日もなお長命性・耐久性を誇り
つつ,他方で,当時の立法諸力の影響や転換期という時代的制約を受ける中で,その妥協的
性格および社会保守的性格のゆえに,制定時にはすでに否定的評価を受けざるを得なかった
経緯を明らかにしたものである。