岡山大学大学院教育学研究科Acta Medica Okayama1883-24231612016栄西呼称の変遷と禅宗の変質(1)(12)ENNatsukiSaitoShogoTanishiki10.18926/bgeou/54239栄西は一般に臨済宗の開祖とされるが、顕密仏教全体の再興を志した実像とは隔たりがある。そこで栄西認識を示す史料の網羅的な収集を試みた結果、中世顕密仏教につらなる「葉上僧正」という呼称に対抗すべく「千光国師」という呼称が近世に台頭した様相が明らかとなった。国内仏教の一宗派へと転身した近世禅宗の周辺で、栄西の国際的な呼称であった「千光」と、天皇帰依僧への尊称であった「国師」とを組み合わせる動きがあったと想定した。No potential conflict of interest relevant to this article was reported.岡山大学大学院教育学研究科Acta Medica Okayama1883-24231572014備前吉備津宮からみた一宮制(21)(27)ENNatsukiSaitoHikaruTabuchi10.18926/bgeou/52952 備前一宮とされる吉備津宮に関連する「備前国一宮社法」「備前国総社家社僧中神前御祈念之事等注文」「備前一宮御神事絵巻」は、室町時
代の年紀を有し、中世史料と考えられてきた。しかし、人名、地名、および「国主」という用語に即して関連史料を探索してみると、近世初
期に成立した史料と考えられる。それでも史料の作成者が、康永や文明など中世の年号を付したのは、中世松田氏が近世池田氏の前身だとい
う近世初期の歴史認識の現れと考察した。No potential conflict of interest relevant to this article was reported.岡山大学大学院教育学研究科Acta Medica Okayama1883-24231542013石見安国寺誌・国苑掌鑑(1)(15)ENNatsukiSaito10.18926/bgeou/51924 島根県浜田市の古刹石見安国寺に伝来したとみられる「国苑掌鑑」は、江戸時代の同寺住持澧州源麗が編輯した石見安国寺誌で、安永四年(一七七五)にまとめられている。同書の存在は早くから知られていたが、断片的に参照されるに止まり、収録されている鎌倉時代後期以来の古文書についても、「鎌倉遺文」「南北朝遺文」などの翻刻対象から洩れているものを含む。室町将軍や徳川将軍の任命対象であった石見安国寺の歴代住持に関する情報を得られる点でも貴重であり、今回まとめて全文を翻刻紹介する。No potential conflict of interest relevant to this article was reported.