start-ver=1.4 cd-journal=joma no-vol=68 cd-vols= no-issue=1 article-no= start-page=(29 end-page=40) dt-received= dt-revised= dt-accepted= dt-pub-year=1985 dt-pub=1985 dt-online= en-article= kn-article= en-subject= kn-subject= en-title= kn-title=賈誼の「三表・五餌」政策について en-subtitle= kn-subtitle= en-abstract= kn-abstract= en-copyright= kn-copyright= en-aut-name= en-aut-sei= en-aut-mei= kn-aut-name=森熊男 kn-aut-sei=森 kn-aut-mei=熊男 aut-affil-num=1 ORCID= affil-num=1 en-affil= kn-affil=岡山大学 END start-ver=1.4 cd-journal=joma no-vol=68 cd-vols= no-issue=1 article-no= start-page=11 end-page=28 dt-received= dt-revised= dt-accepted= dt-pub-year=1985 dt-pub=1985 dt-online= en-article= kn-article= en-subject= kn-subject= en-title= kn-title=「草庵和歌集」伝本考(中) en-subtitle= kn-subtitle= en-abstract= kn-abstract=この拙稿は、本誌の第六十五号に掲載した「『草庵和歌集』伝本考(上)」の続稿である。(上)では、伝本研究の現状、伝本研究の目的と方法、ついで現在までに調査した、三十余りの伝本の書誌的概要をやや詳しく解題した。さらに、それを基底に、伝本分類を行ない、まず諸本間にみられる和歌の有無の観点から、各伝本の性格に触れた。この論考では、それを受継し、詞書と配列の方面から、諸本間の異同とその意味を吟味してゆく。 en-copyright= kn-copyright= en-aut-name=InadaToshinori en-aut-sei=Inada en-aut-mei=Toshinori kn-aut-name=稲田利徳 kn-aut-sei=稲田 kn-aut-mei=利徳 aut-affil-num=1 ORCID= affil-num=1 en-affil= kn-affil=岡山大学 END start-ver=1.4 cd-journal=joma no-vol=68 cd-vols= no-issue=1 article-no= start-page=35 end-page=45 dt-received= dt-revised= dt-accepted= dt-pub-year=1985 dt-pub=1985 dt-online= en-article= kn-article= en-subject= kn-subject= en-title= kn-title=国学における教化論の性格(2) 幕末維新期の二人の国学者の考察を通して en-subtitle= kn-subtitle= en-abstract= kn-abstract=本稿の目的の一つは、維新変革期の国学者の一人、鈴木雅之の中に、天皇への求心的な姿勢の実相を探るとともに、それとのかかわりにおいて提示される雅之の学校構想がいかなる機能をもつものであったのかを考察することにある。後述するように、雅之においては天皇への求心的姿勢は「人心一和論」として展開する。それは朝廷=天皇が、民衆統合への確固たる収束点として政治的に明確化されてはじめて可能になることであった。ところで、後期国学全体に目を向けたとき、そこには雅之のごとく政治的統合の核として天皇を位置づける以前に、「神の御心」を媒介項として民衆の心の把握を図り、それを通して一定の秩序を確保するという側面があったことを忘れてはならない。「八雲立つ出雲の神に神習ひ習ふや道の学問なるらむ」「幽世の神の御前を畏みて愧る心を人なわすれぞ」と詠んだ、下総の農民、宮負定雄はそのような国学者の一人であった。神習ふとは人々が神の御心を行動の規制原理として心の内に持つことを意味した。そこで期待されている行動とは「身を慎み、身分に応じて、世の為人の為に、それぞれの功を立て」るということに包括されうるものである。しかも宮負は人々にこのような行動を通して、村落が和合し、上下が和合する状態が現出するものととらえたのである。ここに、宮負が村落問題に対して教育的に対処しようとした姿勢を見ることができよう。本稿はまずはじめに[Ⅰ]において宮負定雄について考察する。宮負の和合論を検討し、そのなかで神の御心がいかなる意義をもつものであったかを明らかにする。次に[Ⅱ]では、鈴木雅之について、尊王論、人身一和論、学校思想の三点から考察する。以上の考察を通して、幕末維新期の国学にみられる教化論の性格が、民衆統合論の視角から明らかになり、学校教育思想がもつ意義も明確になるものとおもう。 en-copyright= kn-copyright= en-aut-name=YamanakaYoshikazu en-aut-sei=Yamanaka en-aut-mei=Yoshikazu kn-aut-name=山中芳和 kn-aut-sei=山中 kn-aut-mei=芳和 aut-affil-num=1 ORCID= affil-num=1 en-affil= kn-affil=岡山大学 en-keyword=鈴木雅之 kn-keyword=鈴木雅之 en-keyword=宮負定雄 kn-keyword=宮負定雄 en-keyword=国学 kn-keyword=国学 en-keyword=教化論 kn-keyword=教化論 END