JaLCDOI 10.18926/bgeou/9232
FullText URL 066_0301_0319.pdf
Author Inada, Toshinori|
Abstract 生あるものの、逃れられない宿命として死がある。死を予感したり、死を眼前にするとき、人々は現世との永遠の訣別を思い、深い寂しさに心を震わせたり、激しく慟哭する。その末期の眼がとらえた心情が契機となって、文学作品が創作されることも多い。けれども、死の到来からくる悲傷は、なにも当時者に限ったことではない。後に残された肉親や近親者にとっても大きな衝撃を与える。そこに死者に対する追悼や追善が行われ、哀傷歌が誕生する。この現象は、人間界において不変に繰り返されてきたもので古代の「万葉集」における挽歌の占める重量感をもってしても納得できる。挽歌の世界は、「古今集」の成立のとき、巻十六の哀傷部に継承された。四季歌・恋歌に比較すれば、その比重は著しく減少したが、一首一首に込められた心情は、その背景に思いをいたすとき、深く重い響きを伝えている。「古今集」の哀傷の部立は、これ以降、室町期まで連綿と続いた勅撰集に一つの典型を与え、多くの勅撰集が哀傷部を特設している。なかには哀傷の部立を持たぬ勅撰集もあるが、雑部のそれに等しい領域を有する。この傾向は、私家集などにも影響を与えた。頓阿の家集「草庵和歌集」(以下「草庵集」と略称)にも、巻十のなかに哀傷部を特設し、四十余首の歌を掲載する。先述した哀傷歌誕生の意味を考慮するとき、私家集の哀傷歌の世界を考究することは、その歌人の思想や抒情の質の一面や生涯における人と人との交誼の縮図を見ることも可能であろう。この稿で、「草庵集」の哀傷歌にスポットをあて、部立の配列や構成、また追悼を行った人物と、そこに込められた抒情を瞥見しようと試みるのも、この点を念頭においてのことである。
Publication Title 岡山大学教育学部研究集録
Published Date 1984
Volume volume66
Issue issue1
Start Page 1
End Page 19
ISSN 0471-4008
language Japanese
File Version publisher
NAID 120002311170